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2006.4.10の夢 今日は母の祥月命日。ここんとこ何年も母の夢を見ることはありませんでした。一般には親の夢はいい夢だと聞いていますが、私の行っているお寺では必ずしもいい夢ではなくて、供養不足を訴えているときもあるから内容に注意するようにと指導されています。 さて、今回はどこかの面会室のような図書館のような場所で母と会いました。夢の中で私は母が亡くなっていることを認識できていて、霊界にいることも認識しています。その夢の中で一番に感じた事は母がとても綺麗になっていることです。 生前の母は若い頃に出来たにきびを潰してあばたが出来ていた事を年をとっても悔やんでいました。ですから私が年頃になってニキビの花盛りになったときにはそりゃうもう毎日のように洗顔の大事とさらわない、潰さないを言われ続けたものです。 その母が会いに行ったらとっても綺麗になっていたのです。どう綺麗かと言うと、内側から光っているというか、肌の決めは大理石か絹の羽二重のようで白々と光っています。テカッテいるのとは違うんですよ。 よく後光が差すというけれど、その光が肌の中からにじみ出ている感じです。金色に光ったら仏様になっちゃうんでしょうけど、母の場合は白っぽいような、まだ白く抜けきっていないで少し影が残っているような感じでした。 その肌のどこにもニキビのアバタなんてありません。「綺麗になったなぁ」と惚れ惚れと夢の中で見た事でした。そして、気がつくと母と私の間には一つのダンボールの箱があります。ダンボールの箱っていっても茶色ではなくてこれもまた真っ白で、ビニールコーティングされているような光った表面の純白の箱。引越しに使う時の大きいタイプです。 そしてこの箱の説明をするでもなく「お母ちゃんは傲慢が一番きらい」と言うのです。 その言い方はキツイ言い方ではなく、かといって遠慮がちと言うのでもなく、はっきりと私に向かって「お母ちゃんは傲慢が一番きらい」とだけ言うのです。 私は「という事はこのダンボールには私の傲慢が詰まっているの??」と聞きたかったけれど口には出さず。一体あの白いピカピカの箱はなんだったんだろう。蓋は開いていなかったけれど、テープで止めてあったわけでもなくて、ただ折り曲げて閉まっていただけなんですよ。中を開けてみる機会はなかったけれど何がはいっていたのやら。 次に母が取り出してきたのが高さが15cmくらいの小瓶。ちょっとクラシカルなガラス瓶なんですが、中からトロッとしたミルク色が少し茶色っぽくなった乳液上のものを手に取って顔に塗り始めました。かなりな量を顔にあふれるように塗っていきながら、「あんたも塗りなさい。これはなんにでも効くんだから。」と言うのです。 「それならちょっともらおうか」と私は何の気なしに左手の甲にその瓶を傾けるとドロドロっとたくさん出てしまいました。香りは別段悪いものではなくって、香りがしたのかしなかったのか印象がないのですが、夢ですからね。で、その乳液を甲に擦り込んでいったのです。その夢の中ではただ左手の甲に何も思わずに乳液を付けただけなんですよ。よくお化粧品のサンプルを左手の甲につけて試すときと同じで。 それから母が言うには「あんたがそんなにイヤならあの仕事はやめなさい」というのです。丁度嫌なことばかり続く仕事を抱えていて、やりたくないなぁ、うっとおしいなぁ、めんどうだなぁと思い続けてストレスになっていたときです。「でもあの仕事をやめたら収入がこまるしなぁ」と心の中で思いながらも私が不満を持っていることがバレタなぁとびっくりしました。 もう少し突っ込んだ話をしたいと思った矢先、目覚ましのアラームが鳴ってしまってそれで母との面会は終り。もう少し惰眠を貪ってはみたものの母は二度と現れてはくれませんでした。 しかし、印象にはしっかりと残った夢。あれはなんだったのかなぁ。起きてからも考えてしまったのですが、今はっきりと分かるのはあのなんにでも効くという乳液の不思議。 実は二年前に追突された事故の後遺症で保険会社は認めないけれど左手の小指と薬指に痺れが残ってしまったのです。高い薬を自費で購入し続けて飲み続けていますが、飲まなくなったらまた痺れが出てしまうことの繰り返しでなかなか気分がすっきりしないのですが、この夢を見てから後は朝起きてから続いていた痺れを感じなくなっているのです。肩こりなんかは相変わらずだし、首のこりもひどいし、何も生活の改善をしていないにもかからず、あの夢の中で乳液を塗った左手の痺れが確かにないのです。 いやぁ、不思議。私は以前にもアメリカからヨーロッパにかけて半年を海外で過ごしたときにスペインあたりでとうとう体力の限界を感じて疲れ切っていたときにお寺の法主さまの庫裏に伺わせていただいて、法主さま自らお箸を取って私の口に黒豆を炊いたものともうひとつ豆腐のようなチーズのようなヨーグルトのような不思議なトロッとした塊を食べさせた下さったことがありました。 あの時もしっかり味があって色も今回の白っぽいような乳液の塊版だったと感じますが、あのチーズのようなもの、これを私はきっと「醍醐」に違いないとひそかに思っているのですが、それを夢で食べた翌朝には全く疲れを感じなくなって元気に残りの2週間弱をヨーロッパで過ごせたのでした。 霊界の神秘の妙薬って感じています。食べても付けても飲んでも何にでも効く不思議なものが霊界にはあって、私と私を守護してくださる方々とのある時期が来たらそれを定期的にいただいてこの世に過ごさせていただいている自分だと感じています。 ご先祖供養をさせていただいて今年で19年目を迎えます。以前から不思議を体験させていただく事があったけれど、今回の夢の不思議は本当に私の思惑を超えた大きな力がちゃんと存在することを証明してれたように思います。 となると問題があるんですよね。「お母ちゃんは傲慢が一番きらい」というこのメッセージ。いかんいかん、この不思議を体験したなら傲慢を捨てなければ。お母ちゃんに嫌われてしまう。 傲慢。 なかなか難しい問題です。 |
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2001.10.??の夢 今日の夢はとっても不思議。私はお友達のお部屋に遊びに行きました。そこは昔は町の中心地だったけど今はすこし寂れていて家賃が安いんだよって言っていました。まだ部屋が空いていると思うからその気があれば移ってくればいいんじゃない??って言われて遊びに行ったお部屋はビジネスビルで1階は天井の高いアトリエになっていました。友達はそのアトリエでバーナーだか溶接機だかで作品を制作中。 お部屋からそのアトリエが覗けるんだから絶対に普通のマンションなんかじゃありません。そして広いリビングの外には広大なテラスがありパーティーが開けるほどの広さです。外界と室内を分けるのはガラスのドア。決してアルミサッシなんていう安っぽいものではなく、鉄の格子になっていてその格子の一面一面に少しだけひずみの入った贅沢なガラスがはまっていました。 そのガラスのひずみから見える外の世界は夕暮れ時で浮世離れしたノスタルジーを感じさせます。いいなぁ、少し無理してもここに越して来ようかななんて考えているといきなりテラスではパーティーが始まっていました。それもとっても大人数。いつの間にこんなに集まったのかしら。そこかしこでろうそくがたかれてジャズバンドまでが雰囲気を盛り上げています。みんなは普段着のまま思い思いにグラスをかたむけ、大いに語り、笑いあっています。 蝋燭の光を受けてガラスがこの世のものとは思えない美しさに輝いています。友達はパーティーなんぞはどこ吹く風と制作に余念がありません。そして、私はパーティーに戻りましたが、なんと私が腰掛けているのは・・・便器。 汚いなんて思わないでね。何故、テラスの真中に便器なの???しかも私はみんなのなかで用を足しているのです。それも小用であればまだしも、大の方素敵なシチュエーションも何もあったもんじゃありませんが、実は私はこういった排泄系の夢をよく見ます。で、あまりにも鮮明に覚えているので充足夢と思うこともありますが、決してそうではないのです。 夢占いに拠れば排便系の夢は決して悪い夢ではないのです。金運が授かるという夢らしいのですが、では宝くじを買うべきだったのだろうか???少なくとも今日こうして生活できていると言うことはそれなりの金運があるということでしょうか。 金運云々はともかくとして、私はこの夢に出てきた素敵なお部屋を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。なんて素敵なお部屋でしょう。もし、大金持ちになって自分のアトリエ兼自宅を持つことが出来たらこんな素敵なお部屋がいいなぁ。本当に素敵な夢でした。 |
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2001.4.1の夢 今日は細かい部分をあまりよく覚えていません。ただ起きてからとても幸せだったというか、満足感があったというか、なんと言ったらいいでしょうか。 私はお寺で在家仏教徒として得度を受けさせていただきました。現在の管長様には大変かわいがっていただいています。もちろんもうお亡くなりになりましたが法主様にも一言では言い尽くせないほどお世話になりました。ここしばらく以前のように総本山に行かせていただくことはなくなりましたが、年中行事のおりおりにはお参りさせていただいています。 今日の夢はその管長様とお堂の下陣で親しくお話していただくというものでした。時候の話題だったようにも思います。お堂はとても明るくて風も清清しく今考えると5月頃の天気の良い日のようです。管長様はとてもお元気そうでした顔色もよくつやつやとして髪もくろぐろとしてみえました。 目覚めてからとても幸せな気分でした。本当に久しぶりに胸の中を全てはきだしてからだのなかがすっきりしたという感じがしました。夢なのですが今まで実際に目の前に座って親しくお話をさせていただいたという充足感で今も思い出すだけで非常に幸せな気分になります。 私はこういう目覚めてからとても心が満たされる夢というのを何度か見た経験がありますがいつも決まって管長様か法主様が出てこられます。それだけ私が頼り切っていることの表れかも知れません。私はとても大きな力や愛が私を見守ってくれていることに気づかされてがんばろうという活力が沸くのです。 |
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2001.3.19の朝の夢 VOL.1 初めの夢は銀粘土関係の取引先の夢でした。きっと気にかかっていたからこんな夢を見たんだと思います。それは… 取引先から電話で今納めている銀粘土について問い合わせがありました。私が講師を勤めているPMCという三菱マテりアルから出ている銀粘土はスタンダードタイプとクイックタイプの二通りの粘土を出しています。スタンダードタイプは伸びがよく、手にもくっつきにくくて初心者に扱いやすい優れものなのですが、欠点として乾燥・焼成時の収縮率が大きく完成時のサイズをピッタリには仕上げにくいことが上げられます。また焼成時間も実用強度を考えると2時間は焼きたいものです。クイックはその反対に乾燥収縮率が低く焼成時間もかなり短くて済みますが手に引っ付きやすく水をつけての修正では非常に気を使います。必要以上にダレてしまうからです。時間のない体験講習で初心者向けによく使われますが、初心者の技術レベルを考えるとスタンダードで綺麗に仕上げてもらったほうが結果が良いと考えています。 さて、以上のことを踏まえた上で私は取引先にはスタンダードタイプを納品してきました。なぜなら体験講習のために使用するのでスタンダードの扱いやすさを高く評価したからです。しかし、夢の中でまさにこのことが焦点となったのでした。取引先は焼成時間の短いものが良いと判断しているようです。普通ならお客様が欲しいというものを納めればそれで良いとかんがえるかもしれません。失敗してもお客様の責任ということで済ましてしまうところがたくさんあるのは事実です。でも現実の私も夢の中の私もそういう不親切はできなかったのです。私は丁寧に上記のことを説明しそれでもなおクイックを試してみたいと考えるならばもちろん納品しますと答えました。 この先はどうなったでしょう・・・じつは兄からの電話で起こされたのでした。非常に現実味のある夢だったので起きてから取引先に確認の電話をしてしまったほどです。こんな夢変ですか。
2001.3.19の朝の夢 VOL.2 何か中途半端に起こされた感じでもう一度寝なおしました。私は何時間でも寝ることが出来ます。ひどいときは腰が痛くなったり、腕がしびれて動かなくなってしまったり、頭痛がしていよいよ起きなきゃと決心して起き出すほどです。ですから二度寝なんか朝飯前の日常茶飯事なのです。 で・・・こんどの夢はというと・・・。 私は工房をアパートの1階に借りています。2階はもう一つの本業のカヌースクールの事務所です。いつもどおり夜中まで仕事をしていると2階の事務所でなにか大きな物音がしたようでした。でもこのアパートはいつもどこからか大きな物音や2階を人が歩いているような音がするのでまたこんどもどこかの音が聞こえているんだろうと仕事を続けました。明るくなってというより、2階の部屋に行ったときは既に明るかったのですが、事務所に戻ってみると玄関の鍵が開いています。私はちょっとの間でも必ず鍵を掛けるようにしているので何か嫌な予感がして慌てて部屋へ入りました。部屋に入るとすぐに家具がなくなっていることに気が付きました。そのときはたまたまお財布の入ったままのカバンを事務所に置いたままだったのですぐにチェックしたところお財布がないことに気が付きました。なけなしの虎の子と番号を控えてもいないカード類が「あーーーない!!」となれば警察に電話するしかありません。部屋は散らかったままですがこれは泥棒のせいではありません。私の性格によるものですが、今回は泥棒が部屋を散らかしていったことにしましょう。 泥棒は部屋の真中のドデンと鎮座ましましていましたところのティーテーブルとソファ、それに絨毯まで持っていったのです。部屋の中が嫌にすっきりしていてこれはこれでいい感じではありました・・・。警察に泥棒に入られたというと私の名前を聞いて「あーー先日はお世話になりました。」というではありませんか。私はなんか世話したかいなと訝りながら泥棒の話をしたかったのですが、その警官は「僕ですよ。先日のカヌー講習ではお世話になりました。」というのです。ここが夢の夢らしいところなのですが、私も「あーーそうだったんですか、どうも先日は・・・。」などと社交辞令をかましていました。そんなことやっている場合じゃないでしょ!!と夢の中で焦る私。泥棒に入られた説明をしてきっと今はやりのピッキングだと思いますなどど勝手にのたまっていたのでした。 さて、この泥棒騒ぎがどうなったかというと・・・今回もまたお友達の電話で起こされたのでした。あの電話がなかったらこの話は終わるところを知らず延々と続いていたでしょう。良かった、起こしてくれてありがとね。○○ちゃん。 この夢がデジャヴでないことを祈る私です。 |
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2001.3.18の朝の夢 マウンテンバイクに乗って広場にやってきました。お天気は春の日差しが気持ちよい少し霞がかったような日でした。広場はアスファルトで舗装されている広い駐車場で入り口に近いところに売店がありました。駐車場には何台かの車が駐車してあり、駐車場の奥は実は墓地でした。お墓参りの人で墓地にも駐車場にもけっこう多くの人がいました。私はこの墓地にはお参りするお墓がなく通りかかっただけだったので売店を覗いてみました。中はお土産やさんというほどのものもなくて髪飾りや付け毛なんかがすこしありました。 めぼしいものもなかったので出発することにしましたが、広場まではアスファルト舗装の道だったようですが、その先は砂利道ののぼり坂でした。向こうからバスがやってきたのをやり過ごしてからやおらペダルを踏み込みましたがなかなか漕ぎ出すことが出来ません。私は前輪のギアを一段軽くしました。でもやはり漕ぎ出すことが出来ません。前輪のギアをもう一段軽くしましたがまだまだペダルを踏み込むところまでは行かなかったので、今度は後輪のギアを一段軽くしました。するといままでとは打って変わって坂の砂利道を漕ぎ出すことができたのです。私は一生懸命にペダルを踏み込みながら、この砂利道をしんどくても向こうまでたどり着くことが出来たらきっと私の仕事も一歩踏み出せるはずだとその夢の中でつぶやきながら漕ぎつづけました。 さてこの結末はというと…なんてことなくそこで目が醒めたのです。私の人生ってまだまだ厳しそうです。ね。 |
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